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ブログが引っ越しています。過去記事は削除されています。
ブログが引っ越しています。
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______
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橋本翔太がお届けする内容は日々、進化しています。ぜひ新しい情報をご覧ください。
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2015年08月25日
最後のわがまま (歌の映像です)
最後のわがまま
橋本翔太 作詞・曲
君が望んでる未来に
僕がいなくたって いいんだよ
でも、もっときっと ずっと
ねぇ、もっときっと ずっと
必ず幸せになって
僕の最後のわがまま
風が乾きはじめましたね
君はお気に入りの赤い
ニットのジップを上げて
どこへ行くの?
目覚めて気づく 空いたスペース
駅への道
キッチンの棚
仕掛けられたトリガー
君がいない現実
見上げれば 高すぎる青空
ひつじ雲の群れが ないた
僕ひとりに 世界はただ
広すぎて ウソみたいで
君が望んでいる未来に
僕がいなくたって いいんだよ
でも、もっときっと ずっと
ねぇ、もっときっと ずっと
必ず幸せになって
僕の最後のわがまま
ちょっとマイナーな映画
君が大好きな物語
僕もすっかりファンになって
何度も見たよね
早いもので第二作が
来月には はじまるそうです
君の隣のシートには
誰がいるんでしょう
予想外の結末だったけど
気づけなかった 僕の弱さ
伏線が張られてたんだね
繰り返し あちこちに
君という映画の第二作
僕の配役はなかったけれど
エンドロールだけでいい
君という物語の
一場面に登場できたもの
満足しなきゃな
僕が描いてた未来で
君は まだ笑いかけてくるから
正直つらいよ、ねぇ
けれども、やらなくちゃね
「今、ここ」から書き直すよ
新しい明日を
君が望んでる未来に
僕がいなくたっていいんだよ
でも、もっときっと ずっと
ねぇ、もっときっと ずっと
必ず幸せになって
僕の最後のわがまま
2012年02月22日
しょうたせんせい
先日、パパママと、三歳未満の子供たちがメインの会に、ボランティアで参加してきました
しょうたせんせい
教員の友人が主催しているイベントで、
手作りの模造紙がいいかんじ。
こういうの、僕もやってたので、
懐かしいです。
僕の講義と演奏は、
保護者のかたむけ、でしたが、
演奏がはじまると、
お子さんも楽しんでくれていて、
面白かった〜!
子供たちの音楽への反応のパワーは、
全身から溢れてくるので、
こちらもドンドン楽しくなってしまいます
しょうたせんせい
教員の友人が主催しているイベントで、
手作りの模造紙がいいかんじ。
こういうの、僕もやってたので、
懐かしいです。
僕の講義と演奏は、
保護者のかたむけ、でしたが、
演奏がはじまると、
お子さんも楽しんでくれていて、
面白かった〜!
子供たちの音楽への反応のパワーは、
全身から溢れてくるので、
こちらもドンドン楽しくなってしまいます
2011年11月04日
新曲! 「酒瓶」
歌の最新動画です。
僕が昔お世話になったイングリッシュバーを貸し切って、
営業開始前の数時間で集中して撮影した、渾身の一曲!
頭で考えることも大切
波動を整えるのも大切、
でも、
ウダウダ、グチグチいってないで、
さっさと進めばいいだけのことの方が、多かったりするんです。
大切なのは バランス
たまに、自分もこの「酒瓶」に悪酔いするので、目を覚まさなくちゃ。
以下、リンクフリーです。気に入ってくれたら、どんどん貼ってください。
よろしくお願いします^^
「酒瓶」 作詞・曲 橋本翔太
高音画質再生はこちら
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=loeb4BDyBEg
僕が昔お世話になったイングリッシュバーを貸し切って、
営業開始前の数時間で集中して撮影した、渾身の一曲!
頭で考えることも大切
波動を整えるのも大切、
でも、
ウダウダ、グチグチいってないで、
さっさと進めばいいだけのことの方が、多かったりするんです。
大切なのは バランス
たまに、自分もこの「酒瓶」に悪酔いするので、目を覚まさなくちゃ。
以下、リンクフリーです。気に入ってくれたら、どんどん貼ってください。
よろしくお願いします^^
「酒瓶」 作詞・曲 橋本翔太
高音画質再生はこちら
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=loeb4BDyBEg
2011年06月26日
歌の映像 「生きモノ」
先日から、ご紹介してきた、「生きモノ」、
やっとアップすることができました。
同じく、前回のブログで書きましたが、
これを作るにあたって、
ただただ、僕の「想い」だけで動いている活動でして、
一人でも多くの人のもとに届いてくれて、
そして誰かがの何かのきっかけになれば、
その「想い」それだけで、作っています。
もしもいいな、と思ってくださったら、
こちらの作品も、ぜひ、
みなさんのお友達や、ブログ、ミクシィ、フェイスブック、ツイッターなどで、
ご紹介いただけたら嬉しいです。
前回のブログから、あたたかいコメントを動画につけていただいて、
本当に励みになっています。ありがとうございました。
以下、
利益目的のない、高画質、高音質でお届けしています。
みなさんのお役にたてれば、それが僕にとっての最高の喜びです。
HD高画質、高音質再生はこちらへ
http://www.youtube.com/watch?v=GD_gbPdI18Q
やっとアップすることができました。
同じく、前回のブログで書きましたが、
これを作るにあたって、
ただただ、僕の「想い」だけで動いている活動でして、
一人でも多くの人のもとに届いてくれて、
そして誰かがの何かのきっかけになれば、
その「想い」それだけで、作っています。
もしもいいな、と思ってくださったら、
こちらの作品も、ぜひ、
みなさんのお友達や、ブログ、ミクシィ、フェイスブック、ツイッターなどで、
ご紹介いただけたら嬉しいです。
前回のブログから、あたたかいコメントを動画につけていただいて、
本当に励みになっています。ありがとうございました。
以下、
利益目的のない、高画質、高音質でお届けしています。
みなさんのお役にたてれば、それが僕にとっての最高の喜びです。
HD高画質、高音質再生はこちらへ
http://www.youtube.com/watch?v=GD_gbPdI18Q
2011年05月13日
橋本翔太の歌の動画 「足跡」
あと一年の命だとして やりたいことを書き出してみて
そのうちいくつの願いのため 僕は今を歩けてるだろう
昔から、そして今も、立ち止まっては自分に聞いてみます。
橋本翔太 詞・曲 「足跡」
HD再生
http://youtu.be/tola38tZhVE?hd=1
そのうちいくつの願いのため 僕は今を歩けてるだろう
昔から、そして今も、立ち止まっては自分に聞いてみます。
橋本翔太 詞・曲 「足跡」
HD再生
http://youtu.be/tola38tZhVE?hd=1
2011年04月08日
2010年05月04日
貧乏から、家族を守る力
こんな気持ちになれる日がくるなんて、
当時は思っていませんでした。
全く想像できませんでした。
でも、
以下、こういう文章がかける日を、
こうやって迎えることができました。
++++++++++
うち、貧乏でした。
一年同じ仕事が続かない父親が倒れたのが9歳。
「俺を殺す気か」
と、父は、絶対に入らなかった医療・生命保険。
そのおかげで、その後6年にわたる闘病生活に、
医療費は一切おりず。
当然亡くなっても、何も出ません。
誰が払ったかといえば、母親。
世の中はバブルだったみたいですけど、
母親は頑張っても、
すずめの涙の給料で、
それでも月額10万以上の医療費を支払い、
子供二人を育ててくれました。
今振り返っても、何をどうやって暮らしていたのか、
よくわからない、
と母はいいます。
当然、
夏休みだろうが、ゴールデンウィークだろうが、
外食や旅行をした記憶がありません。
夏休みの作文で、何を書いたらいいのか、
ネタを探すのが大変でした。
誕生日やクリスマスに、何かを買ってもらうとか、
そういう経験もありませんでした。
それに望んでいませんでした。
必死な母の後姿を見て、
何かを買ってもらおうなんて、思いませんでした。
金額面で、
自分の学業に差し支えが出そうになり、
進学が危ういときもありました。
助けてくれたのが日本育英会(現日本学生支援機構)と、
国の授業料免除のシステム。
学業さえ、ちゃんと成績をおさめれば、これらの認可がおりるので、
ある意味、 勉強=稼ぐこと だった、あの頃。
・・・・・・。
「お兄ちゃんなんだから、しっかりしなさいね。お母さんを助けてね」
と、会う人、会う人、大人たちは、いうけれど、
どれほど、その言葉が重かったか。
自分なりに、精一杯、「しっかり」して、努力して、
でもどうやったって、経済状況も母親の苦労も、改善できない……
9歳の手のひら、いや、25歳の握りこぶしにだって、
その言葉は重く、何もできない日々が続きました。
振り上げたこぶしは宙を舞い、
自分のことだけで精一杯だった月日
父へのわだかまりも、
母へのわだかまりも、
今では感謝に変わりました。
ここだけを話すと、良い家庭だったのね、といわれます。
もちろん今、僕、母、妹の仲はものすごくいいです。
そしてもちろん、素晴らしい母親です。
感謝でいっぱいで、今も一番尊敬しています。
でも、
でも当時、
ボロボロの母の行動や言葉に、僕もボロボロでした。
学校でのイジメも加わり、
体調も心も限界まで追い詰められていました。
数年前に僕が12歳の頃に書いた遺書を
押入れの奥から見つけたときには、
ゾっとしました。
今、
ようやく、子供のころからの夢を、
この手で動かせるようになってきたみたいです。
奨学金は、妹の分も含めて、全額返済しました。
25年かけて、無利子で返金できるという、
ものすごくありがたいシステムなんですが、
早く返して、次の学生さんに活かして欲しいし。
最近、
母や妹にも、嬉しい転機が訪れ、
あらゆる手配を自分主体となって、
実家の引っ越しを決めることができました。
「母と妹は、僕が守る」
勢いしかなかった空回りに、ようやく中身がついてきたこの頃。
苦しかった時代を象徴する、今の実家から新居への引越し。
今回気づいたのですが、
今まで生きてきて、どこかで、いつも自分に、ダメ出ししながら、
もっとがんばれ、
もっとがんばれ、
まだだめだ、
まだだめだ、
と言い続け、
どんなに成果を出してもどこかで自分を認めてあげることが
できていなかったみたいです。
でも、
おそらく、
生まれてはじめて、
手放しで、本当に手放しで、
自分の今までの全てを、自己肯定できました。
「よくやったね、がんばったね、えらいね」
ずっとずっと、実は自分自身に言って欲しかった、
誰か他の人じゃなく、自分が自分にかけてほしかったこの言葉。
最後まで自分を認めてあげなかったのは、自分自身でした。
今まで、自分自身をたくさん褒めてあげてきた
つもりだったんです。
かなりできているつもりでした。
でも、今回、はじめて、
それが、心の底からはできていなかったことに気づきました。
ようやく、腹のそこから、
自分の頑張りを認めてあげることができ、
ボロボロ涙が止まりませんでした。
強さとは、
ゼロからプラスへの力、というよりも、
マイナスをゼロに変える力を言うのかもしれません。
先のことはわからないけれど、
きっと、もっと、ずっと、よくなっていく。
9歳の自分に、「お〜い、大丈夫だよ〜」って、届けたい。
・
当時は思っていませんでした。
全く想像できませんでした。
でも、
以下、こういう文章がかける日を、
こうやって迎えることができました。
++++++++++
うち、貧乏でした。
一年同じ仕事が続かない父親が倒れたのが9歳。
「俺を殺す気か」
と、父は、絶対に入らなかった医療・生命保険。
そのおかげで、その後6年にわたる闘病生活に、
医療費は一切おりず。
当然亡くなっても、何も出ません。
誰が払ったかといえば、母親。
世の中はバブルだったみたいですけど、
母親は頑張っても、
すずめの涙の給料で、
それでも月額10万以上の医療費を支払い、
子供二人を育ててくれました。
今振り返っても、何をどうやって暮らしていたのか、
よくわからない、
と母はいいます。
当然、
夏休みだろうが、ゴールデンウィークだろうが、
外食や旅行をした記憶がありません。
夏休みの作文で、何を書いたらいいのか、
ネタを探すのが大変でした。
誕生日やクリスマスに、何かを買ってもらうとか、
そういう経験もありませんでした。
それに望んでいませんでした。
必死な母の後姿を見て、
何かを買ってもらおうなんて、思いませんでした。
金額面で、
自分の学業に差し支えが出そうになり、
進学が危ういときもありました。
助けてくれたのが日本育英会(現日本学生支援機構)と、
国の授業料免除のシステム。
学業さえ、ちゃんと成績をおさめれば、これらの認可がおりるので、
ある意味、 勉強=稼ぐこと だった、あの頃。
・・・・・・。
「お兄ちゃんなんだから、しっかりしなさいね。お母さんを助けてね」
と、会う人、会う人、大人たちは、いうけれど、
どれほど、その言葉が重かったか。
自分なりに、精一杯、「しっかり」して、努力して、
でもどうやったって、経済状況も母親の苦労も、改善できない……
9歳の手のひら、いや、25歳の握りこぶしにだって、
その言葉は重く、何もできない日々が続きました。
振り上げたこぶしは宙を舞い、
自分のことだけで精一杯だった月日
父へのわだかまりも、
母へのわだかまりも、
今では感謝に変わりました。
ここだけを話すと、良い家庭だったのね、といわれます。
もちろん今、僕、母、妹の仲はものすごくいいです。
そしてもちろん、素晴らしい母親です。
感謝でいっぱいで、今も一番尊敬しています。
でも、
でも当時、
ボロボロの母の行動や言葉に、僕もボロボロでした。
学校でのイジメも加わり、
体調も心も限界まで追い詰められていました。
数年前に僕が12歳の頃に書いた遺書を
押入れの奥から見つけたときには、
ゾっとしました。
今、
ようやく、子供のころからの夢を、
この手で動かせるようになってきたみたいです。
奨学金は、妹の分も含めて、全額返済しました。
25年かけて、無利子で返金できるという、
ものすごくありがたいシステムなんですが、
早く返して、次の学生さんに活かして欲しいし。
最近、
母や妹にも、嬉しい転機が訪れ、
あらゆる手配を自分主体となって、
実家の引っ越しを決めることができました。
「母と妹は、僕が守る」
勢いしかなかった空回りに、ようやく中身がついてきたこの頃。
苦しかった時代を象徴する、今の実家から新居への引越し。
今回気づいたのですが、
今まで生きてきて、どこかで、いつも自分に、ダメ出ししながら、
もっとがんばれ、
もっとがんばれ、
まだだめだ、
まだだめだ、
と言い続け、
どんなに成果を出してもどこかで自分を認めてあげることが
できていなかったみたいです。
でも、
おそらく、
生まれてはじめて、
手放しで、本当に手放しで、
自分の今までの全てを、自己肯定できました。
「よくやったね、がんばったね、えらいね」
ずっとずっと、実は自分自身に言って欲しかった、
誰か他の人じゃなく、自分が自分にかけてほしかったこの言葉。
最後まで自分を認めてあげなかったのは、自分自身でした。
今まで、自分自身をたくさん褒めてあげてきた
つもりだったんです。
かなりできているつもりでした。
でも、今回、はじめて、
それが、心の底からはできていなかったことに気づきました。
ようやく、腹のそこから、
自分の頑張りを認めてあげることができ、
ボロボロ涙が止まりませんでした。
強さとは、
ゼロからプラスへの力、というよりも、
マイナスをゼロに変える力を言うのかもしれません。
先のことはわからないけれど、
きっと、もっと、ずっと、よくなっていく。
9歳の自分に、「お〜い、大丈夫だよ〜」って、届けたい。
・
2009年07月22日
虹がでていた日曜日
三連休の中日、
移動中の港区で、
後ろからの
「パパァ!! 虹!」
という、女の子の大きな声で、僕も空を見上げると、
虹が。
それはそれは、立派な虹でした。
高校生のときにみた、二重の大きな大きな虹以来、
こんなに大きな虹は久しぶりでした。
写真では伝わりづらいのですが、
とにかく、美しかった。
ちょっと二重になっているの、わかりますか?
ほんの10分ほどで消えてしまったけれど、
圧巻された日曜日の夕方。
何かあったわけではないけれど、
大丈夫だよ。
そんな、メッセージのように感じました。
○
移動中の港区で、
後ろからの
「パパァ!! 虹!」
という、女の子の大きな声で、僕も空を見上げると、
虹が。
それはそれは、立派な虹でした。
高校生のときにみた、二重の大きな大きな虹以来、
こんなに大きな虹は久しぶりでした。
写真では伝わりづらいのですが、
とにかく、美しかった。
ちょっと二重になっているの、わかりますか?
ほんの10分ほどで消えてしまったけれど、
圧巻された日曜日の夕方。
何かあったわけではないけれど、
大丈夫だよ。
そんな、メッセージのように感じました。
○